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本ページは、残業代請求への対応と賃金制度の設計に関する解説のうちの一つです。全体像は、次の中核となるページをご覧ください。
▶ 残業代請求への対応|元従業員から請求された場合の反論の組み立て方(使用者側)
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本記事は、M&Aのデュー・ディリジェンスで対象会社に未払残業代や未払退職金があることが判明し、その扱いを検討している買主又は売主の方に向けたものです。判明した未払賃金を取引の前に是正する具体的な手順を確かめたい方は、M&Aの前に判明した未払賃金等の労務上の債務を是正する手順をご覧ください。
M&Aのデュー・ディリジェンスにおいて、対象会社に未払残業代や未払退職金が存在することが判明することは珍しくありません。売主からは「これまで従業員から請求されたことは一度もない」「従業員との関係は良好であり、請求される見込みはない」との説明を受けることが多いのですが、結論から申し上げますと、未払賃金及び未払退職金は、従業員が現に請求しているか否かにかかわらず、法律上既に発生している債務であり、M&Aの実行後に請求される可能性がある偶発債務として、企業価値の評価と契約上の手当に反映させなければなりません。特に、株主の交代を契機として、在職中の従業員のみならず過去に退職した従業員からも請求がなされる例が多く、また、労働基準監督署の調査により全従業員について遡って清算を求められることもあります。本記事では、未払賃金及び未払退職金が偶発債務となる仕組み、その額の見積りの方法、消滅時効との関係、株式譲渡契約における手当、並びに取引の前後における是正の進め方を解説します。
未払賃金の是正の具体的な手順は、関連記事「M&Aの前に判明した未払賃金等の労務上の債務を是正する手順」を、残業代請求への対応の全体像は、関連記事「残業代請求への対応|元従業員から請求された場合の反論の組み立て方(使用者側)」を御覧ください。
未払賃金及び未払退職金が偶発債務となる仕組み
請求の有無にかかわらず債務は発生しています
法定労働時間を超える労働に対する割増賃金(労働基準法第37条)は、労働が行われた時点で支払義務が発生しており、従業員が請求していないことは、債務が存在しないことを意味しません。同様に、就業規則又は退職金規程に基づく退職金は、支給要件を満たした従業員に対して当然に支払義務が生じます。従業員が在職中に請求しないのは、会社との関係を損なうことを避けるためであり、退職後、特に退職の経緯に不満がある場合や、会社の支配権が交代した場合には、請求に踏み切ることが多くなります。
M&Aを契機とする請求
M&Aにより株主が交代し、経営者や人事の担当者が変わると、従業員は旧経営者との個人的な関係に基づく遠慮から解放され、未払賃金の請求を行いやすくなります。また、M&Aの事実を知った過去の退職者が、消滅時効が完成していない範囲で請求を行う例もあります。さらに、合同労働組合が対象会社の従業員から相談を受け、団体交渉により全従業員分の清算を求めることもあります。買主にとっては、取引後に発生するこれらの請求は、取引前の期間に生じた債務であるにもかかわらず、対象会社の負担として買主が実質的に引き受けることになります。
労働基準監督署の調査
従業員又は退職者が労働基準監督署に申告した場合、労働基準監督署は臨検監督を行い、割増賃金の不払が認められれば是正勧告を行います。是正勧告に基づく是正は、申告者のみならず、同様の状態にある全従業員について、過去に遡って行うことが求められるのが通常であり、その額は一人の請求とは比較にならない規模となります。
典型的な発生原因
デュー・ディリジェンスにおいて未払賃金が判明する典型的な原因は、次のとおりです。第一に、労働時間の把握が不十分であり、始業前の準備や終業後の片付け、持ち帰り残業等が労働時間として計上されていないことです。第二に、固定残業代制度を採用しているものの、割増賃金に当たる部分が明確に区分されていない、対応する時間数を超えた分が精算されていない等、有効性の要件を満たしていないことです。第三に、管理職を一律に管理監督者(労働基準法第41条第2号)として扱い、実態が伴わないにもかかわらず割増賃金を支払っていないことです。第四に、割増賃金の基礎となる賃金から、本来除外できない手当を除外して計算していることです。第五に、年次有給休暇の未消化分の取扱いや、退職金規程の支給要件と実際の運用とが乖離していることです。第六に、変形労働時間制や事業場外みなし労働時間制を、法定の要件(就業規則の定め、労使協定の締結と届出等)を満たさずに運用していることです。
偶発債務の額の見積り
未払賃金
未払賃金の額は、消滅時効が完成していない期間について、従業員ごとに、実際の労働時間と支払済みの賃金との差額を計算して見積もります。労働時間の記録がない場合には、入退館の記録、業務システムのログ、電子メールの送受信の時刻等から推計します。全従業員について精密に計算することが困難な場合には、代表的な部門や職位を抽出して計算し、全体に敷衍する方法が採られますが、その場合には見積りの前提と誤差の範囲を明示します。未払額に加えて、訴訟となった場合に付加金(労働基準法第114条。未払額と同額を限度とします。)及び遅延損害金(退職者については年14.6パーセント)が加わる可能性を考慮します。
未払退職金及び退職給付債務
退職金規程がある場合、既に退職した従業員に対する未払退職金の有無に加え、在職中の従業員について将来支払うべき退職金の現在価値(退職給付債務)を把握します。中小企業では退職給付債務が貸借対照表に計上されていないことが多く、企業価値の評価において簿外債務として調整することが必要です。中小企業退職金共済制度や確定給付企業年金等の外部積立がある場合には、積立額と債務額との差額を確認します。
消滅時効との関係
賃金請求権の消滅時効は、令和2年4月1日以降に支払期日が到来した賃金については支払期日から3年(労働基準法第115条及び同法附則第143条第3項。法律上の原則は5年であり、当分の間3年とされています。)、それより前に支払期日が到来した賃金については2年です。退職金の請求権の消滅時効は5年です(同法第115条)。時効期間が3年に延長されたことにより、偶発債務として見積もるべき未払賃金の額は従前の1.5倍となっており、将来5年に延長された場合には更に増大します。なお、時効は会社が援用しなければ効力を生じず、労働基準監督署の是正勧告に基づく是正では時効の援用が事実上困難であること、及び対象会社が債務を承認した場合には時効が更新されることに留意が必要です。
株式譲渡契約における手当
表明保証
売主に対し、対象会社が労働関係法令を遵守していること、開示されたものを除き未払の賃金、割増賃金、退職金その他の労務上の債務が存在しないこと、及び労働基準監督署からの是正勧告や指導を受けていないことについて表明保証を求めます。デュー・ディリジェンスで判明した事項は開示別紙に記載し、別途の手当の対象とします。
特別補償及び価格調整
判明している未払賃金及び未払退職金については、表明保証の例外とするとともに、その見積額を譲渡価格から控除するか、取引後に実際に支払が生じた場合に売主が補償する特別補償条項を定めます。特別補償は、一般の表明保証違反の補償に付される金額の上限や期間の制限の対象外とすることが通常です。将来の請求の有無が不確実である場合には、譲渡代金の一部を一定期間留保し、又はエスクロー口座に預託する方法も用いられます。
クロージング前の是正の誓約
取引の実行前に売主の責任と費用により未払賃金を清算し、賃金制度を是正することを誓約事項とし、その完了を取引実行の前提条件とすることもあります。ただし、取引前の清算は、従業員に対して未払の存在を明らかにすることになりますので、清算の方法(従業員への説明、清算合意書の取得、清算後の制度の説明)を売主と買主とで事前に協議する必要があります。
取引の前後における是正の進め方
未払賃金の是正は、放置すれば債務が累積し続けるため、取引の前後を問わず早期に着手する必要があります。第一に、労働時間を客観的な方法により把握する体制を整え、以後の未払の発生を止めます。第二に、固定残業代制度、管理監督者の範囲、割増賃金の計算方法及び各種の労働時間制度を、法定の要件に適合するよう改めます。就業規則の変更が労働者に不利益となる場合には、労働契約法第10条の要件を満たす必要があります。第三に、過去の未払分について、清算の範囲(期間、対象者)と方法(一括支払か分割支払か、清算合意書の取得)を定め、従業員に説明のうえ支払います。清算に際しては、支払額の算定根拠を示し、受領後に追加の請求をしない旨の合意を得ることが一般的ですが、法定の額に満たない清算は、後に差額を請求される原因となります。是正の詳細な手順は、前記の関連記事を御覧ください。
弁護士に相談する時期と、費用の考え方
買主の立場では、労務デュー・ディリジェンスの開始時に、確認すべき資料と見積りの方法を定めるために、売主の立場では、デュー・ディリジェンスを受ける前に、自社の未払賃金の有無と額を把握し、開示と是正の方針を定めるために、御相談いただくことをお勧めします。当事務所では、M&Aに関する法務と使用者側の労働問題の双方を取り扱っており、労務デュー・ディリジェンスの実施、偶発債務の見積り、株式譲渡契約における表明保証、特別補償及び価格調整の条項の作成、並びに取引前後の是正の実行を一体として提供しています。費用は、対象会社の規模と関与の範囲に応じて事前に御説明します。
よくあるご質問
従業員から請求されたことは一度もありません。それでも偶発債務として扱われるのですか。
はい。割増賃金及び退職金の支払義務は、請求の有無にかかわらず法律上既に発生しています。M&Aによる支配権の交代は、従業員や退職者が請求に踏み切る典型的な契機であり、買主は取引後に請求を受ける可能性を前提に評価と契約上の手当を行います。
未払賃金の見積額はどのように計算しますか。
消滅時効が完成していない期間について、従業員ごとに実際の労働時間と支払済みの賃金との差額を計算します。記録がない場合には入退館の記録等から推計し、全従業員の計算が困難な場合には代表的な部門を抽出して全体に敷衍します。付加金及び遅延損害金の可能性も考慮します。
売主として、未払賃金を隠して取引を進めるとどうなりますか。
表明保証違反として補償責任を負うほか、故意の不開示は詐欺又は錯誤による取消しや損害賠償の原因となり得ます。判明している事実は開示別紙に記載し、特別補償又は価格調整により処理することが、売主にとっても安全です。
取引の前に清算すべきですか、取引の後に買主が清算すべきですか。
事案により異なります。取引前の清算は売主の負担で行うことができますが、従業員への説明の方法を買主と協議する必要があります。取引後の清算は買主が主導できますが、費用の負担を特別補償や価格調整により売主に帰属させる手当が必要です。
退職金規程はありますが、退職金を支払った実績がありません。債務はありますか。
退職金規程が就業規則の一部として周知されていれば、支給要件を満たす従業員に対する支払義務があり、実績がないことは債務の不存在を意味しません。在職中の従業員についての退職給付債務も、企業価値の評価において簿外債務として調整します。
まとめ
未払賃金及び未払退職金は、従業員が請求しているか否かにかかわらず法律上発生している債務であり、M&Aによる支配権の交代は請求の典型的な契機となります。買主は、デュー・ディリジェンスにおいて発生原因と額を把握し、消滅時効の延長による債務の増大を踏まえて企業価値の評価に反映させ、表明保証、特別補償、価格調整及び代金の留保により契約上の手当を行い、取引の前後において是正を進める必要があります。売主も、判明している事実を開示し、是正の方針を示すことが、取引の円滑な実行につながります。
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