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本ページは、労務コンプライアンスの整備と偶発債務の把握に関する解説のうちの一つです。全体像は、次の中核となるページをご覧ください。
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退職した技術者から、在職中の発明について、特許法第35条に基づく相当の利益(平成27年改正前は相当の対価)の支払を求める内容証明郵便が届くことがあります。請求額は数百万円から数億円に及ぶこともあり、経営者の立場では、「発明報奨金は規程どおりに支払っている」「その特許で利益は出ていない」と感じられることが多いのですが、対応を誤ると、消滅時効の利益を失い、又は会社に不利な事実を認めたことになりかねません。結論から申し上げますと、請求を受けた会社が最初の1週間から2週間で行うべきことは、回答を急がないこと、対象となる発明と適用される法律の版を特定すること、消滅時効の完成の有無を確認すること、社内の資料を保全し関係者への連絡を統制すること、及び弁護士に相談して初回の回答の内容を定めることです。あわせて、職務発明の対価の請求権は、会社がM&Aの対象となる場合に偶発債務として企業価値の評価に影響しますので、請求を受けていない段階から把握しておく必要があります。本記事では、使用者側の立場から、請求を受けた直後の初動と、M&Aにおける偶発債務としての把握の方法を解説します。
請求への対応の全体像(想定される主張への反論、交渉及び訴訟)は、関連記事「元従業者から職務発明の対価(相当の利益)を請求された会社の対応」を、相当の利益の算定と消滅時効の詳細は、関連記事「職務発明対価請求における相当の利益の算定と消滅時効」を、規程の整備は、関連記事「職務発明に関する規程の整備と相当の利益の定め方」を御覧ください。
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職務発明の対価の請求の基本的な仕組み
従業者がした発明が、会社の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至った行為が従業者の職務に属する場合、その発明は職務発明です(特許法第35条第1項)。会社は、職務発明について特許を受ける権利を承継し、又は契約や勤務規則の定めによりあらかじめ会社に帰属させることができ、その場合、従業者は相当の金銭その他の経済上の利益(相当の利益)を受ける権利を有します(同条第3項及び第4項)。会社が勤務規則等で相当の利益の内容を定めている場合、その定めが不合理でない限り、定めに従った支払により義務を履行したことになりますが、定めがない場合又は定めが不合理である場合には、発明により会社が受けるべき利益の額、会社の負担と貢献、従業者の処遇等を考慮して裁判所が相当の利益の額を定めます(同条第5項及び第7項)。適用される規律は、特許を受ける権利の承継の時期により、平成16年改正前、平成16年改正後、平成27年改正後の三つの版に分かれます。
請求を受けた直後の初動
一 回答を急がないこと
請求書には、通常、2週間程度の回答期限が記載されていますが、この期限に法的な拘束力はありません。期限内に、資料を確認のうえ改めて回答する旨を書面で伝えれば足ります。この段階で、「規程に従って支払っている」「発明に貢献した事実は認める」等の実質的な回答を行うことは、後の交渉や訴訟において会社を拘束するおそれがあります。特に、支払義務の存在を前提とする回答や一部の支払は、消滅時効が完成している場合であっても債務の承認(民法第152条)として時効の利益を放棄したものと評価されるおそれがありますので、時効の検討を終えるまでは、支払義務に関する言及を避けます。
二 対象となる発明と適用される法律の版の特定
請求書に記載された特許番号及び発明の名称から、対象となる発明を特定し、発明の届出日、特許を受ける権利の承継日又は帰属日、出願日、登録日、及び請求者が発明者として記載されているか否かを確認します。承継の時期により適用される特許法第35条の版が決まり、会社の規程の定めがどの程度尊重されるかが変わります。平成17年3月31日以前に承継された発明については、規程の額が法定の額に満たないときは不足額の請求が認められますので、会社にとって最も不利な版です。
三 消滅時効の確認
職務発明の対価の請求権の消滅時効は、原則として承継の時から進行しますが、勤務規則等に支払時期の定めがある場合にはその支払時期から進行します。時効期間は、令和2年3月31日以前に生じた請求権については10年、令和2年4月1日以降に生じた請求権については権利を行使することができることを知った時から5年又は権利を行使することができる時から10年のいずれか早い方です(民法第166条第1項)。規程の各版における出願補償、登録補償、実績補償等の支払時期の定めと、対象発明について実際に支払った補償金の時期を照合し、請求権のうちどの部分について時効が完成しているかを整理します。請求書が内容証明郵便による催告に当たる場合、その到達から6か月間は時効の完成が猶予されます(同法第150条)ので、請求書の到達日を正確に記録します。
四 資料の保全
次の資料を直ちに保全します。発明の届出書及び譲渡証書、社内の審査の記録、承継の時期に適用されていた職務発明規程とその後の各改正版、規程の策定及び改正に際して行った従業者との協議、基準の開示及び意見聴取の記録、対象発明に係る補償金の支払記録、実施品の売上高及び実施許諾契約に関する資料、代替技術及び競合製品に関する資料、研究開発の体制と費用に関する資料、並びに請求者の在職期間、職務、給与及び待遇に関する資料です。これらは訴訟において文書提出命令(民事訴訟法第220条)の対象となり得るものですので、廃棄や改変は厳に慎みます。
五 社内の連絡の統制
請求を受けた事実と対応の方針は、経営者、知的財産部門及び人事部門の限られた者の間で共有し、請求者の元上司や同僚が請求者と個別に接触して事実関係を話すことのないよう統制します。共同発明者が在職している場合には、その者の寄与率が争点となり得ますので、事情の聴取は弁護士の助言の下で行います。また、請求者の在職中の研究ノートや実験の記録は、発明の完成の経緯と寄与率の重要な証拠となりますので、所在を確認します。
六 弁護士への相談と初回の回答
以上の確認を踏まえ、弁護士と協議のうえ、初回の回答の内容を定めます。時効が完成している部分についてはこれを援用し、その余の部分については、請求の根拠となる資料(売上高の算定根拠、独占の利益の算定方法、貢献度の評価の根拠)の開示を求めることが通常です。会社側の反論の見込みと請求者との交渉の方針は、関連記事「元従業者から職務発明の対価(相当の利益)を請求された会社の対応」を御覧ください。
M&Aにおける偶発債務としての把握
買主の立場
対象会社が特許権を保有し、又は保有していた場合、退職した発明者からの相当の利益の請求は、請求を受けていない段階でも偶発債務として企業価値の評価に影響します。デュー・ディリジェンスにおいては、対象会社の保有する特許及び過去に保有した特許の一覧、各特許の発明者と在職の有無、職務発明規程の有無とその内容及び各改正の履歴、規程の策定に際しての協議、開示及び意見聴取の手続の履践状況、各発明に係る補償金の支払の記録、実施品の売上高及び実施許諾による収入、並びに過去に発明者から請求や問合せを受けた経緯を確認します。規程がない場合、規程はあるが手続の履践が確認できない場合、又は主力製品の基本特許の発明者が既に退職している場合には、偶発債務の発生の可能性が高いと評価します。
株式譲渡契約における手当
株式譲渡契約においては、売主に対し、対象会社の職務発明に関する規程が適法に整備され運用されていること、及び開示されたものを除き従業者又は元従業者から相当の利益に関する請求を受けていないことについて表明保証を求めます。発生の可能性が具体的に認められる場合には、特別補償条項により売主の負担とするか、譲渡価格の調整又は代金の一部の留保により手当します。
売主の立場
売主としては、デュー・ディリジェンスを受ける前に、職務発明規程の整備の状況と補償金の支払の記録を確認し、規程がない場合や手続の履践が不十分な場合には、可能な範囲で是正しておくことが、企業価値の減額を防ぐことにつながります。規程の整備の方法は、前記の関連記事を御覧ください。
弁護士に相談する時期と、費用の考え方
職務発明の対価の請求は、初回の回答の内容が後の交渉と訴訟を左右しますので、請求書を受領した当日に御相談いただくことをお勧めします。当事務所では、使用者側の立場から、適用される法の版と消滅時効の検討、資料の保全と社内の連絡の統制に関する助言、初回の回答書の作成、請求者との交渉、及び訴訟への対応を取り扱っています。M&Aの場面では、買主側の労務及び知的財産のデュー・ディリジェンス、並びに売主側の事前の整備についても対応しています。費用は、請求額、事案の内容及び関与の範囲に応じて事前に御説明します。
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よくあるご質問
請求書に2週間以内に回答するよう書かれています。応じなければなりませんか。
回答期限に法的な拘束力はありません。期限内に、資料を確認のうえ改めて回答する旨を書面で伝えれば足ります。実質的な回答は、時効と資料の確認を終え、弁護士と協議したうえで行ってください。
規程どおりに報奨金を支払っています。請求を無視してよいですか。
無視することはお勧めしません。平成16年改正後の発明については規程の定めが尊重されますが、規程の策定に際しての協議、開示及び意見聴取の手続が問われます。また、無視すれば訴訟を提起される可能性があり、その場合の対応の負担は交渉による解決よりも大きくなります。時効の検討を終えたうえで、書面により回答してください。
担当者が請求者に電話で「検討します」と伝えました。問題はありますか。
検討する旨を伝えただけであれば直ちに債務の承認とはなりませんが、以後は個別の接触を避け、書面により対応してください。支払義務の存在を前提とする発言や一部の支払は、時効の利益の放棄と評価されるおそれがあります。
M&Aで会社を売却する予定です。職務発明の問題は影響しますか。
影響します。買主は、特許の発明者の在職の有無、職務発明規程の有無と手続の履践状況、補償金の支払の記録を確認し、偶発債務として企業価値の評価に反映させます。売却の前に規程と記録を整備しておくことが、減額を防ぐことにつながります。
特許は既に期間満了で消滅しています。それでも請求されるのですか。
特許権の消滅後であっても、存続期間中に会社が得た独占の利益に対応する相当の利益の請求権は、消滅時効が完成していない限り存続します。規程の支払時期の定めによっては、特許の消滅後に時効が完成する部分もありますので、確認が必要です。
まとめ
職務発明の対価の請求を受けた会社は、回答を急がず、対象発明と適用される法律の版を特定し、消滅時効の完成の有無を確認し、資料を保全して社内の連絡を統制したうえで、弁護士と協議して初回の回答を行う必要があります。初動を誤ると、時効の利益を失い、又は会社に不利な事実を認めたことになりかねません。また、職務発明の対価の請求権は、M&Aにおいて偶発債務として企業価値の評価に影響しますので、買主はデュー・ディリジェンスにおいて規程と記録を確認し、売主は事前に整備しておくことが重要です。請求書を受領した場合には、当日に使用者側の労働問題を取り扱う弁護士に御相談ください。
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