創業30年の機械部品の製造会社で、開発部門の課長が考案した治具について特許の出願を検討することになった。就業規則には職務発明に関する定めがなく、これまでは出願のたびに本人から譲渡証に署名をもらってきた。今回、本人から、出願するのであれば相応の金銭を求めたいという申出があった。どのように整理すればよいかという御相談を、この段階でお受けします。
発明について特許を受ける権利は、発明をした者に生じます。会社の資金で、会社の設備を用い、会社の指示に基づいて行われた成果であっても変わりません。権利を会社に移す仕組みがなければ、移転はそのつどの交渉に委ねられます。
結論から申し上げます。職務発明について会社が確実に権利を確保するには、発明が生ずる前に、あらかじめ使用者に帰属させる定めと、相当の利益の内容及びその決定の手続を、規程として整えておく必要があります。特許法第35条第3項は、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利はその発生した時から使用者等に帰属すると定めています。以下、順に御説明します。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
社内の制度を整える作業は主題ごとに分かれますので、次のとおり切り分けます。
- 職務発明に関する規程を新たに設け、又は作り直す場面……本記事
- 相談の窓口や規程類を含め、社内の体制を全体として整える場面……労務コンプライアンスの整備|紛争を未然に防ぐ体制づくりと偶発債務の把握
- 賃金に関する規程を、労働条件の変更として改める場面……M&Aの後に労働条件を統一する場合の不利益変更の限界
- 元従業者から金銭の請求を受け、手続に移行した場面……労働審判・労働訴訟への対応|申立てを受けた会社が最初にすべきこと(使用者側)
規程がない会社では、発明が従業者のものとして残ります
特許法第29条第1項は、産業上利用することができる発明をした者は、一定の場合を除き、その発明について特許を受けることができると定めています。権利は発明をした者に生じます。
特許法第35条第1項は、その性質上使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至った行為が従業者等の現在又は過去の職務に属する発明を職務発明とし、従業者等が特許を受けたときは使用者等が通常実施権を有すると定めています。規程がなくても自社で実施できますが、他社に実施を許諾することも、権利を譲り渡すことも、侵害を止めることもできません。
個別の譲渡証には限界があります。本人が署名を拒めば権利を取得できず、退職の後に所在が分からなくなれば手続が止まります。共同で発明した者のうち1名の署名が得られなければ、出願自体が進みません。なお、特許法第35条第2項は、職務発明を除く発明についてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させる定めを無効としていますので、業務の範囲を離れた発明まで会社のものとすることはできません。
あらかじめ使用者に帰属させる定めの置き方
特許法第35条第3項が求めるのは、発明が完成する前に、その定めが効力を生じていることです。完成した後に規程を新設し、その発明に適用することはできません。着手の判断は、出願の予定の有無とは切り離して行ってください。
置き場所は、就業規則の一部としての職務発明規程とすることが実務の標準です。労働基準法第89条第10号は、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合には、これに関する事項を就業規則に記載しなければならないと定めています。記載すべき事項は、適用の対象者の範囲、職務発明の定義、届出の義務、権利の帰属、相当の利益の内容と算定の方法、決定と通知の手続、異議の取扱い、秘密の保持、退職後の取扱いです。
対象となる者の範囲は慎重に定めてください。特許法第35条第1項にいう従業者等には、従業者のほか法人の役員も含まれます。出向により受け入れている者、嘱託、有期の契約による者のうちどの範囲を対象とするかを明示し、対象としない者は個別の契約で処理します。規程には施行の日を定め、施行前に完成した発明には適用しない旨を記載してください。
相当の利益の内容を定める手続
特許法第35条第4項は、契約、勤務規則その他の定めにより職務発明について使用者等に特許を受ける権利を取得させたときは、従業者等は相当の金銭その他の経済上の利益を受ける権利を有すると定めています。権利を帰属させる以上、この利益を与える義務が生じます。
問題は、その内容を会社が定めることができるかどうかです。特許法第35条第5項は、相当の利益について定める場合には、基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された基準の開示の状況、相当の利益の内容の決定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより相当の利益を与えることが不合理であると認められるものであってはならないと定めています。
手続を尽くしていない場合の帰結は、特許法第35条第7項に定められています。定めがない場合、又は定めたところにより与えることが不合理であると認められる場合には、その内容は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならないとされています。すなわち、尽くしていれば規程どおりの支払で足り、尽くしていなければ額そのものが外から決められます。なお、同条第6項は、経済産業大臣が指針を定め、これを公表するものとすると定めています。
従業者との協議、基準の開示及び意見の聴取
手続は三つの局面に分かれます。第一は、基準を策定する段階での協議です。対象となる従業者に規程の案を示し、意見を述べる機会を設けます。全員と個別に協議する必要はなく、部門ごとの代表者との協議でもかまいません。残す記録は、開催日、配付資料、出席者、述べられた意見と会社の対応です。
第二は、策定した基準の開示です。対象となる従業者が必要なときに内容を確認できる状態に置きます。社内の情報網への掲載、各職場への備付け、書面の配付のいずれでもよく、開示した日と方法を記録に残します。求められてから示す運用は、開示を行ったことになりません。
第三は、個々の発明について相当の利益の内容を決定する段階での意見の聴取です。算定した額とその根拠を本人に書面で通知し、意見を述べる期限を示します。述べられた意見は検討し、結論と理由を回答します。異議を受け付ける窓口と手順を規程に置くと運用が安定します。
金銭以外の利益を定めることができる範囲
特許法第35条第4項の文言は「相当の金銭その他の経済上の利益」ですので、金銭に限られません。会社の資金の状況に応じて組み合わせることができます。
経済上の利益に当たるものとしては、会社の負担による留学の機会の付与、ストックオプションの付与、金銭的な処遇の向上を伴う昇進又は昇格、法令及び就業規則に定める休暇に加えて与えられる休暇が挙げられます。表彰状の授与や社内報での紹介のみは、経済上の利益に当たりません。名誉に関する取扱いは、任意の制度として別に設けてください。
設計としては、金銭を基本に据え、非金銭の利益を上乗せする構成が扱いやすくなります。非金銭のみですと、その価値の評価を説明する負担が生じます。支払の時期を、出願の時、登録の時、実施又は譲渡による収入が生じた時に分け、後段を実績に連動させますと、額の合理性を数値で説明できます。
退職した従業者からの請求に備える記録
相当の利益を受ける権利は債権です。民法第166条第1項は、債権は、債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき、又は権利を行使することができる時から10年間行使しないときは、時効によって消滅すると定めています。起算の時点は規程が定める支払の時期によって決まりますので、実施に応じた支払を定めている場合には、長期にわたり請求を受ける可能性が残ります。
そこで、次の書類を一件ごとにまとめて保存してください。発明の届出書、発明者の認定に関する検討の記録、出願及び登録の書類、当時の規程の版とその開示の記録、協議及び意見の聴取の記録、算定の根拠と支払の記録、本人の意見と会社の回答です。保存は、特許権の存続期間の満了後も相当期間を確保します。
退職の際の手続も定めておきます。在職中に関与した発明と出願の一覧を本人に交付し、相違がないことの確認を得たうえで、退職後の連絡先を届け出てもらいます。後年に権利の帰属や発明者の範囲が争われる余地が大きく減ります。
共同発明及び委託研究の場合の取扱い
複数の者が共同して発明をした場合、特許を受ける権利は共有となります。特許法第33条第3項は、特許を受ける権利が共有に係るときは、各共有者は他の共有者の同意を得なければその持分を譲渡することができないと定めています。
共同発明者の全員が自社の従業者であれば、規程によって全員の持分が会社に帰属します。問題となるのは、取引先の従業者や大学の研究者が含まれる場合です。その者の持分は相手方の側に帰属しますので、出願に先立って共同出願契約を締結します。定めるべきは、持分の割合、出願及び維持の費用の負担、各当事者による実施の可否と対価、第三者への実施の許諾、権利を放棄する場合の事前の通知です。
研究を外部に委託する場合には、委託先の従業者がした発明の帰属を契約で定めます。定めを置かなければ、権利は委託先の側に生じます。あわせて、発明者の認定を誤らないでください。費用を負担した者、一般的な指示を与えたにとどまる者、指示に従って測定や実験の補助を行った者は、発明者ではありません。認定の誤りは、出願の瑕疵と後年の紛争の双方を招きます。
なぜ規程の有無がM&Aの価格に影響するのか
株式の譲渡や事業の譲渡の場面では、買主は知的財産に関する調査を行います。求められるのは、保有する特許権及び出願中の案件の一覧、権利の帰属を裏付ける資料、職務発明規程の有無と当時の版、協議、開示及び意見の聴取の記録、そして相当の利益の支払の実績です。
規程がなく、個別の譲渡証のみで処理してきた会社では、この段階で時間を要します。発明者の範囲が特定されているか、署名が真正か、退職者の分が欠けていないかが、一件ずつ問われます。欠落が見つかれば、価格の減額、特別の補償条項の設定、代金の一部の留保という形で条件に反映されます。
加えて、特許法第35条第7項に基づいて元従業者から請求を受ける可能性は、貸借対照表に現れない債務として扱われ、見積りが困難であるため保守的に評価されます。逆に、規程が整い、記録が残り、支払の実績を説明できる会社では、この確認は短時間で終わります。M&Aを選択肢に含める会社にとって、規程の整備は、技術の価値を目減りさせないための作業です。
弁護士に任せられる範囲と、依頼の時期
弁護士が担うのは、規程の案の作成、対象者の範囲と算定方法の設計、協議及び意見の聴取の進め方と記録の様式の整備、就業規則の変更に必要な手続の確認、共同出願契約及び委託研究契約の作成と審査、過去に出願した案件の権利の帰属の点検、そして元従業者から請求を受けた場合の対応です。
依頼の時期は、最初の出願を検討する前です。既に出願を重ねている会社では、規程の整備と並行して、過去の案件の譲渡証の有無と発明者の範囲を点検します。売却を予定している会社であれば、買主の調査が始まる6か月前までに着手してください。
いま確認していただきたいこと
就業規則の目次を開き、職務発明に関する章の有無を確認してください。ある場合には、施行の日、適用の対象者の範囲、権利の帰属に関する条項、相当の利益の算定の方法、支払の時期、意見の申出の手続を確かめます。ない場合には、これまでの出願について譲渡証の原本が保管されているかを確認してください。
次に、保有する特許権と出願中の案件を一覧にし、発明者として記載されている者の氏名、在籍の有無、退職している場合は退職の日を記入してください。あわせて、他社又は大学と共同で出願した案件を抽出し、共同出願契約の有無と、実施及び対価に関する条項を確認します。最後に、過去に相当の利益として支払った金銭の有無と、算定の根拠が残っているかを確認してください。
よくあるご質問
出願のたびに譲渡証をもらっていますが、それでは足りませんか
不足が生じます。譲渡証は本人が署名して初めて効力を持ちますので、拒まれた場合や、退職して所在が分からなくなった場合に権利を取得できません。あらかじめ規程を置いておけば、特許法第35条第3項により権利は発生の時から会社に帰属します。
役員がした発明も職務発明として扱えますか
扱えます。特許法第35条第1項にいう従業者等には法人の役員が含まれますので、その職務に属する発明であれば職務発明となります。ただし、役員は就業規則の適用を受けませんので、規程を適用する旨を委任契約又は取締役会の決議で明らかにしておきます。
実用新案や意匠、著作物についても同じ扱いになりますか
実用新案登録を受ける権利及び意匠登録を受ける権利については、同様の仕組みを定める準用の規定が置かれていますので、規程の中で併せて対象としてください。著作物は別の法律による取扱いとなりますので、業務上作成する著作物の帰属に関する定めを別に設けます。
相当の利益の額は、どのくらいの水準が適切ですか
一律の水準はありません。特許法第35条第7項が挙げる要素、すなわち会社が受けるべき利益の額、会社が行う負担と貢献、従業者等の処遇その他の事情によって定まります。実務では、出願及び登録の段階で定額を支払い、実施又は譲渡による収入が生じた段階でその一定割合を支払う組合せが用いられます。
おわりに
職務発明の制度は、額の多寡を争うためのものではなく、権利の所在を先に確定させておくための仕組みです。発明が生まれる前に規程を置き、策定の際に協議し、内容を開示し、決定の際に意見を聴く。この四つを踏んでいれば、規程で定めた内容がそのまま効力を持ちます。必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。
職務発明規程の整備と相当の利益に関する御相談
弁護士法人M&A総合法律事務所 電話番号 03-6435-8418
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出典
- 特許法第35条第1項から第7項まで(職務発明)、第29条第1項(特許の要件)、第33条第3項(特許を受ける権利が共有に係る場合の持分の譲渡)
- 民法第166条第1項(債権等の消滅時効)
- 労働基準法第89条第10号(作成及び届出の義務)
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