金曜日の夕方、裁判所から特別送達の封筒が届いた。中身は労働審判手続申立書の写しと呼出状で、2年前に退職した元従業員が、未払の割増賃金の支払を求めている。呼出状に記載された第1回の期日は3週間後、答弁書の提出期限はその10日前である。何から手を付ければよいかという御相談を、この段階でお受けします。
この手続は、通常の民事訴訟とは時間の流れが異なります。訴訟であれば、第1回の口頭弁論は形式的に終わり、主張は数か月かけて積み上げます。労働審判では、その積み上げの部分が、最初の期日の前に一度で求められます。封筒を開けた日から答弁書の提出期限までの2週間ほどが、会社に与えられた準備の期間のすべてです。
結論から申し上げます。第1回の期日までに提出した答弁書と書証が、この手続における会社の主張のほぼすべてになりますので、初動の2週間に人と時間を集中させる必要があります。労働審判法第15条第2項は、労働審判委員会は特別の事情がある場合を除き3回以内の期日において審理を終結しなければならないと定めています。以下、順に御説明します。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
申立てを受けた会社の作業は時期によって内容が変わりますので、次のとおり切り分けます。
- 申立書を受け取ってから第1回の期日までの準備……本記事
- 手続の全体の流れと、訴訟へ移行した後の見通し……労働審判・労働訴訟への対応|申立てを受けた会社が最初にすべきこと(使用者側)
- 割増賃金の請求そのものに対する反論の組立て……残業代請求への対応|元従業員から請求された場合の反論の組み立て方(使用者側)
- 申立てを受ける前に、社内の体制を整える場面……労務コンプライアンスの整備|紛争を未然に防ぐ体制づくりと偶発債務の把握
答弁書の提出期限は、第1回の期日より前に来ます
労働審判規則は、第1回の期日を、申立てがされた日から40日以内の日に指定しなければならないと定めています。書類が会社に届くのは申立てから1週間ほど後ですので、受領した日から期日までは、多くの場合3週間から4週間です。そして答弁書の提出期限は、呼出状において、期日のおおむね1週間から10日前に指定されます。
したがって、実際に使える時間は2週間から3週間です。この期間を、次のように配分してください。受領した当日に代理人を選任します。翌日から3日以内に、対象となる期間の資料を保管部署から一括して取り寄せます。7日目までに事実関係を確定させ、認否の方針を固めます。残りの期間を答弁書の起案と書証の選別に充てます。
労働審判法第5条第1項は、当事者が個別労働関係民事紛争の解決を図るため裁判所に対し労働審判手続の申立てをすることができると定めています。申立ての段階で相手方は資料を揃え終えていますので、会社の側は最初から遅れた位置にあります。この差を埋める唯一の方法が、初動の速さです。
第1回の期日で心証がほぼ固まります
労働審判委員会は、労働審判官である裁判官1名と、労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名で構成されます。第1回の期日は2時間程度が確保され、その中で、争点の整理と、当事者双方からの事実の聴取が行われます。
ここで注意すべきは、聴取が申立人と相手方に対して直接行われるという点です。代理人が代わって述べるのではなく、出席した会社の担当者が、委員会の質問に自らの言葉で答えます。答弁書に書かれた内容と担当者の説明が食い違えば、その場で信用性が失われます。
そして、第1回の期日の終わりに、委員会から解決の水準についての見通しが示されることが通常です。この見通しは、答弁書と書証、そして担当者の説明を踏まえて形成されたものであり、第2回以降に大きく動くことはまれです。準備の成果が、初回の2時間で確定するという構造になっています。
答弁書に必ず書くべき事項と、書いてはならない事項
労働審判規則第14条第1項は、答弁書に記載すべき事項を定めています。申立ての趣旨に対する答弁、申立書に記載された事実に対する認否、答弁を理由づける具体的な事実、予想される争点及び当該争点に関連する重要な事実、予想される争点ごとの証拠、そして当事者間においてされた交渉その他の申立てに至る経緯の概要です。
このうち、実務で差が出るのは認否と経緯の概要です。認否は、申立書の主張を項目ごとに分け、認める、否認する、知らないという区分を明示します。留保する記載を置きますと、その部分は争いのない事実として扱われる方向に働きます。経緯の概要では、退職に至る事情、退職後の連絡の有無、内容証明郵便の受領と回答の内容を、日付を付して時系列で記します。
書いてはならない事項も明確です。第一に、相手方の人格や勤務態度に対する非難です。請求の当否と関係がなく、委員会の心証を害します。第二に、法律論のみを述べて事実を書かない記載です。第三に、追って主張する、追って立証するという記載です。この手続には「追って」が存在しません。全体の分量は20ページ程度を上限とし、冒頭に、事案の概要と会社の結論を1ページにまとめて置いてください。
提出する書証をどこまで絞るのか
期日の限られた時間の中で実際に参照される書証は、多くありません。中核となるものを10点から20点に絞り、それぞれについて何を立証するのかを証拠説明書に記載します。数を出すことは、有利には働きません。
割増賃金が争われる事案であれば、雇用契約書、就業規則、賃金規程、賃金台帳、出勤簿又はタイムカード、時間外労働・休日労働に関する協定の届出書、業務日報が中核となります。地位の確認が争われる事案であれば、処分の通知書、告知と弁明に関する書面、指導の記録、人事評価の資料が中核となります。いずれの事案でも、就業規則については、当該期間に効力を有していた版を特定し、周知の方法を示す資料を添えてください。
集計が必要な資料は、生のデータをそのまま提出せず、会社の側で作成した一覧表に整理し、原本はその一部を抜粋して添付します。労働審判規則第16条は、当事者はやむを得ない事由がある場合を除き第2回の期日が終了するまでに主張及び証拠書類の提出を終えなければならないと定めています。第1回の当日に持参して配る運用は、委員会にも相手方にも読む時間を与えませんので、避けてください。
出席させる担当者の選び方
出席者は2名を基本とします。1名は、争われている事実を直接体験した者です。労務の管理を担当していた者、当該従業員の直属の上司、給与の計算を行っていた者などが該当します。もう1名は、解決の内容を決める権限を持つ者です。
権限については、期日の前に社内の手続を済ませておく必要があります。委員会から解決の水準が示された場合に、その場で応諾するかどうかを判断できなければ、次の期日まで1か月前後が空きます。応じることのできる金額の上限と、支払の条件について、代表者又は取締役会から事前に決裁を得ておいてください。
準備としては、想定される質問と回答を書面にし、担当者と読み合わせます。答えを覚え込ませるのではなく、事実として記憶している範囲と、記憶していない範囲を切り分けることが目的です。記憶にない事項について推測で答えますと、後に資料と食い違います。分からない質問には、確認して次回に回答する旨を述べるよう、あらかじめ伝えておいてください。
調停による解決を想定した金額の見立て
労働審判法第1条は、この手続の目的として、事件を審理し、調停の成立による解決の見込みがある場合にはこれを試み、その解決に至らない場合には労働審判を行うことにより、紛争の実情に即した迅速、適正かつ実効的な解決を図ることを掲げています。調停による解決が、制度上、先に置かれています。
したがって、期日に臨む前に、金額の幅を三つ計算しておきます。第一に、相手方の請求がそのまま認められた場合の額。第二に、会社の反論が全部通った場合の額。第三に、その中間で、争点ごとに勝敗が分かれた場合の額です。この三つを算出しておけば、期日の場で示された水準が、どの位置にあるのかを直ちに判断できます。
労働審判法第14条第1項は、労働審判手続において当事者間に合意が成立し、これを調書に記載したときは労働審判手続は終了すると定め、同条は、その記載が裁判上の和解と同一の効力を有することを定めています。強制執行の対象となる効力を持ちますので、支払の方法、分割とする場合の期限の利益の喪失、清算条項の範囲、そして口外を禁ずる条項の有無まで、条項の内容を確認したうえで合意してください。
審判に対して異議を申し立てた場合の見通し
調停が成立しない場合、労働審判法第20条第1項に基づき、労働審判委員会は、審理の結果認められる当事者間の権利関係及び労働審判手続の経過を踏まえて、労働審判を行います。
労働審判法第21条第1項は、当事者が労働審判に対し裁判所に異議の申立てをすることができると定めています。期間は、審判書の送達又は労働審判の告知を受けた日から2週間の不変期間です。同条第4項は、適法な異議の申立てがあったときは労働審判はその効力を失うと定めています。そして労働審判法第22条第1項は、適法な異議の申立てがあったときは、労働審判手続の申立てに係る請求については、当該申立ての時に、労働審判事件が係属していた地方裁判所に訴えの提起があったものとみなすと定めています。
異議を申し立てるかどうかの判断は、三つの要素で行います。審判で示された額と、会社が受け入れられる額との差。同種の請求が他の従業員から生ずる可能性、すなわち先例としての影響。そして訴訟に移行した場合に要する期間と費用です。移行後の訴訟では、答弁書と書証がそのまま資料として用いられますので、第1回の期日までの準備は、訴訟の見通しをも左右します。
なぜ通常の訴訟と同じ構えでは間に合わないのか
差は三点あります。第一に、準備の期間です。訴訟であれば、答弁書は請求の趣旨に対する答弁のみを記載して提出し、実質的な主張は次回以降に行うことができます。労働審判では、その実質的な主張を最初の書面で完結させます。
第二に、主張を追加する機会です。訴訟では、口頭弁論の終結まで主張と立証を積み重ねることができます。労働審判では、労働審判規則第16条により、第2回の期日の終了までに提出を終えることが原則とされています。実際には、第1回で示された心証を前提に第2回以降が進みますので、追加が結論を動かす場面は限られます。
第三に、当事者本人の関与です。訴訟では、本人が法廷で説明する機会は尋問の段階まで訪れませんが、労働審判では最初の期日で行われます。準備の対象が、書面だけでなく人にまで及ぶという点が、最も大きな違いです。この三点を踏まえ、社内の担当部署に対しては、通常の業務に優先して資料の提出に応じるよう、代表者の名で指示を出してください。
弁護士に任せられる範囲と、依頼の時期
弁護士が担うのは、申立書の分析と争点の抽出、資料の取寄せの範囲の指示、認否の方針の決定、答弁書の起案、書証の選別と証拠説明書の作成、出席者の選定と想定問答の作成、期日への同席と進行への対応、調停条項の作成と検討、審判が出た場合の異議の要否の判断、そして訴訟へ移行した後の対応です。
依頼の時期は、封筒を受け取った当日です。期日の指定は既に済んでいますので、期間を延ばすことはできません。受領から3日を過ぎますと、資料の収集と起案を並行して行うことになり、書面の精度が落ちます。
いま確認していただきたいこと
まず、呼出状に記載された第1回の期日、答弁書の提出期限、提出すべき部数、そして裁判所と担当部の連絡先を書き出してください。次に、申立書に記載された請求の内容を、金額の内訳ごとに分解し、それぞれについて社内で確認すべき資料の名称を割り当ててください。
資料については、当該従業員の在籍期間全体について、雇用契約書、辞令、就業規則の各改定版、賃金台帳、出勤簿、人事評価、指導や注意に関する記録、退職に関する書面を集めます。あわせて、当該従業員から退職後に届いた書面と、会社が返した回答を時系列で並べてください。最後に、期日に出席させる2名の候補を決め、その日の予定を空けてください。
よくあるご質問
指定された期日に役員の予定が入っています。変更できますか
期日の変更は、裁判所の判断によります。手続の性質上、認められる範囲は狭く、単に予定が重なっているという理由では困難です。まず出席可能な担当者を確保することを優先し、変更の申出は、代理人を通じて速やかに行ってください。
答弁書の提出が期限に間に合わない場合はどうなりますか
手続は予定どおり進みます。提出が遅れますと、委員会が期日の前に内容を検討する時間がなくなり、会社の主張が十分に理解されないまま争点の整理が行われます。分量を減らしてでも、期限に間に合わせることを優先してください。
代表者が必ず出席しなければなりませんか
法律上、代表者の出席が要件とされているわけではありません。事実を直接知る担当者と、解決の内容を決める権限を持つ者が出席すれば足ります。ただし、権限について事前の決裁を得ていない場合には、その場で判断ができず、解決が次の期日に持ち越されます。
調停に応じず、審判を受ける方が有利になりますか
一概には言えません。審判の内容は、期日で示された水準と大きく異なるものにはなりにくく、加えて異議を申し立てれば訴訟に移行し、期間が延びます。調停で示された条件が受け入れられる範囲にあるのであれば、その段階で終えることが、費用と時間の両面で合理的です。
おわりに
労働審判は、準備の量ではなく、準備の速さで結果が変わる手続です。受領した当日に代理人を選任し、3日で資料を集め、7日で認否を固める。書証は絞り、出席者には権限を持たせ、金額の幅を先に決めておく。この段取りを踏めば、初回の2時間で会社の言い分は伝わります。必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。
労働審判の申立てを受けた場合の対応に関する御相談
弁護士法人M&A総合法律事務所 電話番号 03-6435-8418
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出典
- 労働審判法第1条(目的)、第5条第1項(労働審判手続の申立て)、第14条第1項(調停の成立)、第15条第2項(審理の終結)、第20条第1項(労働審判)、第21条第1項及び第4項(異議の申立て等)、第22条第1項(訴え提起の擬制)
- 労働審判規則第14条第1項(答弁書の記載事項)、第16条(主張及び証拠書類の提出の時期)
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