従業員の横領が疑われる場合の証拠の保全と事情の聴取の順序

経理を10年以上任せてきた社員について、取引先からの入金が帳簿と合わないという指摘が監査法人から入った。通帳の記載と請求書を数枚照らし合わせただけで、既に不自然な出金が3件見つかっている。本人は今日も出社しており、経理の端末は本人しか操作していない。すぐに呼んで問いただすべきかという御相談を、この段階でお受けします。

この場面で会社が失いやすいのは、金銭ではなく証拠です。横領を疑われた者が最初に行うのは、記録の削除と、資産の移動です。会社の側が疑いを表に出した瞬間から、この二つが始まります。したがって、着手の順序が、回収できる金額と、後に処分を行えるかどうかを決めます。

結論から申し上げます。証拠の保全を完了させるまでは、本人に一切接触してはならず、聴取は、資料の分析によって金額と手口を特定した後に、一度で行います。刑法第253条は、業務上自己の占有する他人の物を横領した者は10年以下の拘禁刑に処すると定めており、これに当たる事案であっても、資料が失われれば立証ができません。以下、順に御説明します。

本記事が扱う場面と、扱わない場面

不正が疑われる事案は、調べる段階と、処分を決める段階とで作業が異なりますので、次のとおり切り分けます。

疑いを持った時点で、最初にしてはならないこと

してはならないことは四つです。第一に、本人を呼んで確認することです。第二に、他の従業員に事情を尋ねて回ることです。第三に、本人の担当から外し、席を移すなどの措置をとることです。第四に、取引先に問い合わせることです。

いずれも、疑いを持たれていることを本人に伝える結果を招きます。第二と第三は、社内の噂を通じて、第四は、取引先から本人への連絡を通じて伝わります。伝わった後に起きるのは、業務用端末の中の記録の削除、私物の持出し、預金の引出し、不動産の名義の変更です。

この段階で行うべきは、疑いを知る者の範囲を限定することだけです。代表者、そして調査を担当する1名から2名に限ります。同時に、経理の担当者に対して、通帳、請求書、領収書、契約書などの原本を通常どおり保管し、廃棄の作業を止めるよう、理由を告げずに指示してください。

証拠の保全は、本人に気付かれる前に行います

保全の対象は四つに分かれます。会計の記録、金銭の流れの記録、電子的な記録、そして本人の資産に関する情報です。

会計の記録としては、総勘定元帳、補助元帳、仕訳の入力の履歴、伝票の原本、請求書と領収書の控え、契約書を確保します。会計ソフトの操作ログを併せて取得してください。金銭の流れの記録としては、法人名義の預金口座の取引明細、当座勘定照合表、小口現金の出納帳、法人カードの利用明細を、可能な限り長い期間について取り寄せます。

電子的な記録は、最も失われやすい対象です。業務用端末については、本人が不在の時間帯に、記憶装置の複製を作成します。稼働中の端末をそのまま操作すると記録が変化しますので、複製を作ってから内容を確認する順序をとってください。電子メールについては、サーバに保存されている送受信の記録を、本人の操作が及ばない管理者の権限で確保します。あわせて、入退室の記録、防犯カメラの映像の保存期間を確認し、上書きされる前に切り出します。

本人の資産に関する情報としては、履歴書に記載された住所の不動産の登記事項証明書を取得します。

業務用の端末及び電子メールを確認することができる範囲

調査には限界があります。個人情報の保護に関する法律第18条第1項は、個人情報取扱事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて個人情報を取り扱ってはならないと定めています。

まず確認すべきは、就業規則又は情報管理に関する規程に、業務用の端末及び電子メールについて会社が業務上必要な範囲で内容を確認することがある旨の定めがあるかどうかです。定めがあり、それが従業員に周知されていれば、業務上の必要に基づく確認は、その範囲で許されます。定めがない場合には、確認の必要性と方法の相当性が、より厳しく問われます。

定めの有無にかかわらず、守るべき線は共通です。確認の対象を、疑いの対象となっている取引及び期間に関連するものに限ること。私用の通信であることが明らかなものは、確認の対象から外すこと。作業を担当する者を限定し、確認した範囲と結果を記録に残すこと。私物の携帯電話、私物の記録媒体、本人の私的な鞄や机の中の私物については、本人の承諾なく調べてはなりません。

事情の聴取をいつ、誰が、どのように行うのか

聴取の時期は、資料の分析が終わり、対象となる取引、金額、時期、手口を特定した後です。特定ができていない段階での聴取は、会社がどこまで把握しているかを本人に教えるだけの結果になります。

担当する者は、代表者又は調査を担当する役員と、記録を取る者の2名とします。3名以上が取り囲む形は避けてください。時間は、1回につき2時間を上限とし、勤務時間内に、通常の会議室で行います。深夜に及ぶ聴取、複数回にわたる長時間の拘束は、後に供述の任意性を失わせます。

進め方は、確認した事実を1件ずつ示し、それぞれについて説明を求める形をとります。最初から全体の自白を求めるのではなく、資料に基づく個別の質問を積み上げます。本人が説明できない点、資料と矛盾する点が明らかになった時点で、その内容を記録します。録音を行う場合は、その旨を告げてから行ってください。聴取の結果は、その日のうちに、質問と回答の順に沿った報告書としてまとめ、担当者が署名します。

自認書及び弁済の合意書の作り方

本人が事実を認めた場合、書面を二通に分けて作成します。事実を認める書面と、弁済を約する書面です。一通にまとめますと、弁済の合意が争われた際に、事実の自認まで一緒に効力を失います。

自認書には、いつ、どの取引について、どのような方法で、いくらを取得したかを、本人の言葉で具体的に記載してもらいます。「不適切な処理を行いました」という抽象的な記載では足りません。日付、金額、相手方、手口が特定されていることが必要です。

弁済の合意書には、債務の額、支払の方法と期日、分割とする場合の期限の利益の喪失の条項、遅延損害金、そして担保又は連帯保証を付す場合はその内容を記載します。ここで注意すべきは、労働基準法第16条が、使用者は労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならないと定めていることです。実際に生じた損害の賠償を約する合意はこれに当たりませんが、実損とは無関係の違約金や、一律の金額を定める条項は無効となります。賃金からの控除による回収も、全額払いの原則がありますので、原則として行うことはできません。

身元保証人に対する請求ができる範囲

入社の際に身元保証書を提出させている場合でも、請求できる範囲は限られます。身元保証ニ関スル法律第1条は、期間を定めない身元保証契約は成立の日から3年間、商工業の見習者については5年間効力を有すると定めています。同法第2条は、期間を定める場合であっても5年を超えることができず、更新の場合も同様であると定めています。したがって、10年以上前に提出された身元保証書は、更新されていなければ効力を失っています。

効力が存続している場合でも、金額が全額になるとは限りません。同法第5条は、身元保証人の損害賠償の責任及びその金額を定めるにあたり、被用者の監督に関する使用者の過失の有無、身元保証人が身元保証をするに至った事由及びその際に用いた注意の程度、被用者の任務又は身上の変化その他一切の事情を斟酌すると定めています。会社の側に、現金の管理を1名に任せきりにしていた、預金の残高照合を行っていなかったといった事情があれば、責任の範囲は縮減されます。

また、同法は、被用者に業務上不適任又は不誠実な事跡があって身元保証人の責任を生じさせるおそれがあることを知ったときは、使用者が遅滞なく身元保証人に通知しなければならないと定めています。この通知を怠っていた場合も、責任の範囲に影響します。なお、身元保証契約は個人の根保証契約に当たりますので、極度額の定めがなければ効力を生じません。

刑事告訴を選ぶ場合の判断の要素

刑法第252条第1項は自己の占有する他人の物を横領した者を、同法第253条は業務上自己の占有する他人の物を横領した者を処罰の対象としています。占有していない財産について、任務に背く行為により会社に損害を加えた場合には、同法第247条の背任が問題となります。

刑事訴訟法第230条は、犯罪により害を被った者は告訴をすることができると定めています。会社は被害者として告訴をすることができますが、選択の前に検討すべき点があります。

第一に、回収との関係です。刑事の手続が始まると、本人の資産の処分が事実上難しくなり、勾留されれば弁済の原資となる収入も途絶えます。任意の弁済による回収を優先するのであれば、告訴は、弁済が滞った場合の手段として留保する方が合理的です。第二に、資料の完成度です。捜査機関は、被害の事実と金額が客観的な資料によって特定されていることを求めますので、調査が終わっていない段階での相談は受理まで時間を要します。

告訴を選ぶべき場面は、金額が大きく回収の見込みが乏しい場合、本人が事実を否認し証拠の隠滅のおそれがある場合、そして共犯者が社外にいる場合です。これらに当たらない事案では、民事上の回収と社内の処分を先行させ、告訴を選択肢として残す判断が採られます。

なぜ調査の順序を誤ると回収ができなくなるのか

回収の原資は、本人の資産です。給与の差押えのほか、預金、不動産、保険の解約返戻金が対象となります。これらは、いずれも移すことができる財産です。

疑いを本人に先に伝えた場合、預金は引き出され、不動産は親族へ名義が移されます。差押えの対象がなくなれば、民法第709条による損害賠償の請求も、民法第415条第1項による債務不履行に基づく請求も、判決を得た後に実現する手立てがありません。

さらに、記録が削除されると、金額そのものを特定できなくなります。取引先を巻き込んだ手口であった場合には、民法第715条第1項により、会社が第三者に対して使用者としての責任を負う可能性も生じますので、事実の範囲を早期に確定させる必要があります。保全を先に、接触を後に。この順序だけが、回収の可能性を残します。

弁護士に任せられる範囲と、依頼の時期

弁護士が担うのは、保全の対象と手順の設計、電子的な記録の複製に関する専門業者の起用、調査の範囲が法令に適合しているかの検討、聴取の設計と同席、自認書及び弁済の合意書の作成、身元保証人に対する請求の可否の判断と通知の作成、資産の調査と保全の申立て、告訴状の作成と捜査機関との協議、そして社内の処分に関する助言です。

依頼の時期は、疑いを持った当日です。最初の1日から2日の間に何を確保できたかで、その後に採ることができる手段の幅が決まります。本人に接触した後の御相談では、既に失われた資料を前提に組み立てるほかありません。

いま確認していただきたいこと

疑いの対象となっている取引について、日付、金額、相手方、承認をした者を一覧にしてください。次に、その取引に関与し得た者の範囲を、権限の設定と操作の記録から確定してください。あわせて、会計ソフトの操作ログ、電子メール、入退室の記録、防犯カメラの映像について、それぞれの保存期間を確認してください。上書きされるまでの日数が、作業の期限になります。

就業規則及び情報管理の規程を開き、業務用の端末と電子メールの確認に関する定めの有無、懲戒の事由の定め、そして調査への協力を求める根拠となる規定を確認してください。最後に、本人の身元保証書を探し、日付、期間の定めの有無、極度額の記載の有無を確認してください。

よくあるご質問

本人が休暇中の間に、机とロッカーを調べてよいですか

会社が貸与しているロッカーや机の中で、業務に関する物については、業務上の必要に基づいて確認することができます。もっとも、明らかに私物と分かる鞄や封筒の中身は対象外です。調べる場合は複数名で行い、開けた物と発見した物を写真と書面で記録してください。

本人がすべてを否認した場合、どう進めますか

否認を前提に、資料のみで金額と手口を立証できるかを検討します。自認が得られなくても、会計の記録と金銭の流れが一致していれば、請求も社内の処分も可能です。

退職届を出してきた場合、受理してよいですか

受理の判断は、調査の進み具合によります。退職の効力が生じますと社内の処分を行うことができなくなりますので、調査を終える見込みの時期を踏まえて判断してください。

他の従業員に事情を聴くのはいつからですか

証拠の保全が完了した後です。聴取の対象と順序は、本人と接触する可能性が低い者から始めます。

おわりに

横領の事案で最も高くつくのは、確かめたいという気持ちに従って、本人に一言尋ねてしまうことです。資料は複製し、記録は保存期間を確認し、範囲を限った上で分析を終える。金額と手口が確定してから、初めて本人に向き合う。この順序を守れば、回収も、処分も、いずれも選ぶことができます。必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。

従業員の横領が疑われる場合の調査に関する御相談
弁護士法人M&A総合法律事務所 電話番号 03-6435-8418
受付時間 8:00-21:00(土日祝含む)

出典

  • 刑法第252条第1項(横領)、第253条(業務上横領)、第247条(背任)
  • 民法第709条(不法行為による損害賠償)、第715条第1項(使用者等の責任)、第415条第1項(債務不履行による損害賠償)
  • 身元保証ニ関スル法律第1条(身元保証契約の存続期間)、第2条(期間を定める場合の制限)、第5条(賠償責任の限度に係る斟酌)
  • 刑事訴訟法第230条(告訴権者)
  • 労働基準法第16条(賠償予定の禁止)
  • 個人情報の保護に関する法律第18条第1項(利用目的による制限)

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    弁護士土屋勝裕
    弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士。長島・大野・常松法律事務所、ペンシルバニア大学ウォートン校留学、上海市大成律師事務所執務などを経て事務所設立。400件程度のM&Aに関与。米国トランプ大統領の娘イヴァンカさんと同級生。現在、M&A業務・M&A法務・M&A裁判・事業承継トラブル・少数株主トラブル・株主間会社紛争・取締役強制退任・役員退職慰労金トラブル・事業再生・企業再建に主として対応
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