パートタイマー正社員転換問題とM&A

この記事の位置付け

本記事は、M&Aの場面における各論であり、社会保険の未加入という偶発債務、待遇の相違、無期転換及び取得後の労働条件の統一を解説するものです。

制度そのものの総論は、パートタイマーの正社員への転換問題とはをご覧ください。

同じ主題を扱う関連ページ

M&Aの場面におけるパートタイマーの正社員への転換の問題

本記事は、株式の譲渡その他のM&Aの場面において、パートタイマーの正社員への転換及びこれに関連する労務の問題がどのように現れるかを扱う各論です。

制度そのものの総論(正社員への転換の推進の措置、転換の基準の定め方、転換後の労働条件の設計)につきましては、パートタイマーの正社員への転換問題とはをご覧ください。

なぜM&Aにおいて問題となるのか

パートタイマーを多数雇用する会社(小売業、飲食業、介護、保育、清掃、物流等)の株式を取得する場合、買主は次の2つの局面でこの問題に直面いたします。

  • 取得の前 社会保険及び雇用保険の未加入、待遇の相違、無期転換の未処理といった簿外債務又は偶発債務が存在しないかの調査
  • 取得の後 買主の側の就業規則及び賃金体系に統一する際の、不利益変更の限界

株式の譲渡による場合、会社の法人格に変動はありませんので、過去の未加入及び未払の責任は、そのまま買主が取得した会社に残ります。この点が、M&Aの場面において特に注意を要する理由です。

社会保険の加入義務の未履行という偶発債務

短時間労働者に対する適用の要件

短時間労働者であっても、次の要件をいずれも満たす場合には、健康保険及び厚生年金保険の被保険者となります。

  • 1週間の所定労働時間が20時間以上であること
  • 所定内賃金が月額8万8000円以上であること(賞与、時間外手当、通勤手当等を除きます)
  • 2か月を超える雇用の見込みがあること
  • 学生でないこと

この要件が適用されるのは、被保険者の総数が一定数以上の特定適用事業所です。この企業規模の要件は段階的に引き下げられており、将来的にはほぼ全ての会社が対象となります。

時期 被保険者の総数
令和4年10月から 101人以上
令和6年10月から(現在) 51人以上
令和9年10月から 36人以上
令和11年10月から 21人以上
令和14年10月から 11人以上

なお、所定内賃金が月額8万8000円以上という要件は、令和8年10月に撤廃される予定です。買主といたしましては、取得の後に対象となる従業員が増加することを前提として、人件費の増加を事業計画に織り込む必要があります。

未加入が判明した場合の負担

加入の義務があるにもかかわらず届出がされていない場合、年金事務所の調査により遡って被保険者の資格の取得の届出を行い、保険料を納付することとなります。保険料を徴収する権利の消滅時効は2年ですので(健康保険法第193条第1項、厚生年金保険法第92条第1項)、原則として最大2年分が対象となります。

概算による例示をお示しいたします。実際の料率は都道府県及び年度により異なりますので、あくまで規模の把握のための例示です。

前提 数値
未加入の対象者 30名
1名当たりの月額賃金 12万円
会社負担分の料率(健康保険、厚生年金保険及び子ども・子育て拠出金の合計の概算) 約15パーセント
1か月当たりの会社負担 54万円
2年分の遡及 約1296万円

従業員の負担分を遡って徴収することは事実上困難ですので、会社がこれを負担することとなれば、金額は更に増加いたします。従業員数30名程度の会社の株式の譲渡代金と比較して、看過し得ない規模です。

また、週の所定労働時間が20時間以上である場合には雇用保険の被保険者にも該当いたしますので、雇用保険についても同様の確認を要します。

短時間労働者及び有期雇用労働者の待遇の相違の問題

短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律は、次のとおり定めております。中小企業に対する適用は令和3年4月1日からです。

  • 第8条 基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、職務の内容、職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならない
  • 第9条 職務の内容及び配置の変更の範囲が通常の労働者と同一である短時間・有期雇用労働者については、短時間・有期雇用労働者であることを理由として差別的取扱いをしてはならない
  • 第14条第2項 労働者から求めがあったときは、通常の労働者との間の待遇の相違の内容及び理由を説明しなければならない

正社員への転換の制度が形式的に存在するのみで運用されていない場合、又は転換の基準が不明確な場合には、待遇の相違の合理性を説明することが困難となります。M&Aの後に労働組合又は個々の従業員から待遇の相違の説明を求められ、これを契機として紛争が生ずる例があります。

無期転換の申込権の未処理

同一の使用者との間で有期労働契約が更新されて通算5年を超える場合、労働者は期間の定めのない労働契約への転換を申し込むことができます(労働契約法第18条)。

この通算は、株式の譲渡によって中断いたしません。会社の法人格が同一である以上、譲渡の前後を通じて通算されます。さらに、令和6年4月1日から、無期転換申込権が発生する更新の際に、無期転換の申込みの機会及び無期転換後の労働条件を明示することが義務付けられております。

買主といたしましては、取得の時点で無期転換申込権が既に発生している者の人数、及び近い将来に発生する者の人数を把握しておく必要があります。

M&Aの手法による承継の違い

手法 労働契約の承継 過去の未加入及び未払の責任
株式譲渡 会社が存続するため、当然に維持されます 会社に残ります
事業譲渡 個々の労働者の同意を要します(民法第625条第1項) 原則として譲渡会社に残ります。ただし承継する債務の範囲は契約により定めます
会社分割 労働契約承継法の手続(通知、異議の申出)を要します 承継の対象とされた労働者に係るものは承継会社に移転し得ます

過去の偶発債務を承継したくない場合には、事業譲渡又は会社分割の手法を検討することとなりますが、いずれも労働者の側の手続を要しますので、実務上の負担は大きくなります。

法務デュー・ディリジェンスにおける確認事項

  • パートタイマー及び有期雇用労働者の人数、雇用契約書、週の所定労働時間及び月額賃金の一覧
  • 健康保険及び厚生年金保険の被保険者の名簿と、上記の一覧との突合(加入すべき者が漏れていないかの確認)
  • 雇用保険の被保険者の名簿との突合
  • 直近の年金事務所及び労働基準監督署の調査の記録並びに指導の内容
  • 就業規則(パートタイマー就業規則を含みます)における正社員への転換の制度の有無及び運用の実績
  • 有期労働契約の通算期間の一覧(無期転換申込権の発生の状況)
  • 正社員と短時間・有期雇用労働者との待遇の相違の内容及びその理由の説明の資料

取得の後に労働条件を統一する場合の限界

買主は、取得の後に自社の就業規則及び賃金体系へ統一することを望むのが通常です。もっとも、就業規則の変更により労働者の不利益に労働条件を変更することは原則として許されず、変更が合理的であり、かつ変更後の就業規則を周知した場合に限り、変更後の労働条件によることとなります(労働契約法第9条、第10条)。

この点の詳細は、M&Aの後に労働条件を統一する場合の不利益変更の限界をご覧ください。

株式譲渡契約における手当て

調査により未加入又は待遇の相違の問題が判明した場合、次の手当てを検討いたします。

手当て 内容
表明保証 社会保険及び労働保険の加入の義務を履行していること、未払の賃金が存在しないことを売主に表明保証させます
特別補償 既に判明している未加入の問題については、表明保証の対象から除外したうえ、金額の上限を設けない特別の補償の条項を設けます
譲渡代金からの控除 遡及して生ずる保険料の見込額を算定し、譲渡代金から控除いたします
代金の一部の留保 一定期間、代金の一部の支払を留保し、又は第三者に預託して、現実の負担が確定した時点で精算いたします
クロージングの前提条件 実行までに加入の手続を完了することを、取引実行の前提条件といたします

無期転換に関する誤解と、転換を避けるための取扱いの限界

実務上、パートタイマーの側に、無期労働契約への転換とは正社員就業規則の適用を受ける正社員になることであるという誤解が見られます。労働契約法第18条第1項が定めるのは、有期労働契約が期間の定めのない労働契約に転換することであり、別段の定めがある部分を除き、転換の前後で労働条件は同一です。したがって、短時間の勤務を希望するパートタイマーが、転換によって長時間の勤務を求められるものではありません。

この誤解を前提として転換の希望の有無を調査した場合、実際の希望者の数を下回る結果が出ることがあります。誤解が解消された後に多数の申込みがされる可能性がありますので、調査の結果を前提として負担の見込みを立てる場合には、調査の際にどのような説明を行ったかを併せて確認してください。

他方、無期労働契約への転換を避けることを目的として、有期労働契約を一度期間の満了により終了させ、一定の期間を置いてから再び雇い入れるといった取扱いが見られます。このような取扱いは、労働契約法第18条の趣旨に反するものとして、通算契約期間の計算において期間の空白が認められず、又は雇止めが無効と判断される可能性があります。転換に伴う負担が懸念される場合には、転換を避けるための取扱いではなく、転換後の職務、勤務時間及び賃金に関する制度の設計により対応することが適切です。

まとめ

パートタイマーの正社員への転換の問題は、単独では人事制度の問題にとどまりますが、M&Aの場面においては、社会保険の未加入、待遇の相違及び無期転換という3つの偶発債務と結び付き、譲渡代金の水準そのものに影響する論点となります。

当事務所は、M&A及び企業法務を中心に取り扱っており、労務のデュー・ディリジェンスから株式譲渡契約における手当ての設計、取得後の労働条件の統一までを一貫して取り扱っております。パートタイマーを多数雇用する会社の取得又は譲渡をご検討の際には、いつにてもお問い合わせください。

執筆者

弁護士法人M&A総合法律事務所 代表弁護士 土屋勝裕(東京弁護士会所属 登録番号26775)

長島・大野・常松法律事務所に在籍した後、慶應義塾大学ビジネス・スクール及びペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、ファイナンス理論並びにM&A及び不動産を専攻しました。不動産投資信託(J-REIT)の上場案件に関与し、平成23年には最高裁判所において株式買取請求権に関する逆転判決を得ております。現在は弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士を務めております。

主として取り扱う分野 M&A、株式買取請求権、非上場株式の価格の決定、企業価値評価、事業承継、企業法務及び不動産に関する法律問題

所在地 〒105-6017 東京都港区虎ノ門4丁目3番1号 森トラスト城山トラストタワー17階/電話番号 03-6435-8418/受付時間 8:00-21:00(土日祝含む)

本記事の記載は一般的な法律情報であり、個別の事案に関する法律上の助言ではありません。記載した経歴は事実の記述であり、個別の事件の結果を保証するものではありません。

お問い合わせ

この記事に関連するお問い合わせは、弁護士法人M&A総合法律事務所にいつにてもお問い合わせください。ご不明な点等ございましたら、いつにてもお問い合わせいただけましたら幸いです。







    ※ いずれか一つをお選びください。「〜1000万」は500万円以上1000万円未満を指します。多忙のため「〜500万」の場合はコールバックいたしません。ご依頼意思が強い場合のみお電話ください。





    入力内容をご確認の上、
    送信ボタンを押してください

    弁護士法人M&A総合法律事務所メールマガジン

    M&Aの最新情報や弁護士法人M&A総合法律事務所のセミナー情報が届きます。
    メールアドレスを入力してお申込みください。

    セミナー情報と書籍・電子書籍の謹呈

     

    ABOUT US
    弁護士土屋勝裕
    弁護士法人M&A総合法律事務所の代表弁護士。長島・大野・常松法律事務所、ペンシルバニア大学ウォートン校留学、上海市大成律師事務所執務などを経て事務所設立。400件程度のM&Aに関与。米国トランプ大統領の娘イヴァンカさんと同級生。現在、M&A業務・M&A法務・M&A裁判・事業承継トラブル・少数株主トラブル・株主間会社紛争・取締役強制退任・役員退職慰労金トラブル・事業再生・企業再建に主として対応
    お問い合わせ 03-6435-8418