
昨今、職場におけるハラスメント問題は社会的関心を集めていますが、その一方で「虚偽のハラスメント申告」という新たな問題も浮上しています。実際にハラスメント行為がなかったにもかかわらず申告されるケースや、事実が誇張されて伝えられるケースなど、その実態は複雑です。
このような状況において、無実の「加害者」とされた人はどのように自身を守れば良いのでしょうか。また企業はどのような調査義務を負い、どのように真偽を見極めるべきなのでしょうか。
本記事では、ハラスメント申告をめぐる法的責任と対応策について、加害者・被害者双方の立場から検証していきます。証拠保全の重要性や、虚偽申告によって生じる組織全体への影響、さらには名誉毀損と正当な訴え出の境界線について、法的観点から詳しく解説します。
ハラスメント問題で悩む当事者はもちろん、適切な対応を模索する企業の人事担当者や管理職の方々にも参考になる内容となっています。
1. ハラスメント冤罪の実態:無実の加害者になってしまったときの法的対応策
ハラスメント申告が増える中、虚偽の申し立てによって「無実の加害者」となってしまうケースも少なくありません。厚生労働省の調査によれば、パワハラの相談件数は年々増加傾向にあり、その中には誤解や故意による虚偽申告も含まれています。「ハラスメント冤罪」に直面した場合、どのような法的対応が可能なのでしょうか。
まず重要なのは、冷静に証拠を集めることです。日頃からのコミュニケーション記録やメール、チャットの保存が重要な証拠となります。また、弁護士への早期相談も必須です。東京弁護士会や第二東京弁護士会では、ハラスメント問題に特化した相談窓口を設けており、冤罪対応の専門知識を持つ弁護士を紹介してもらえます。
法的には、名誉毀損(民法709条、刑法230条)や信用毀損(刑法233条)として対抗措置を取ることも検討できます。ただし、訴訟は最終手段と考え、まずは社内の第三者委員会による公正な調査を求めることが望ましいでしょう。
実際の裁判例では、「上司によるパワハラ」として訴えられた事案で、上司側の適切な指導記録と複数の証言により、パワハラ認定が覆されたケースがあります。証拠の保全と客観的事実の提示が勝敗を分けた典型例といえるでしょう。
ハラスメント申告に対しては「推定無罪」の原則が必ずしも適用されないことが多く、社会的制裁が先行するという現実があります。だからこそ、日頃からのコンプライアンス意識と透明性のあるコミュニケーションが重要な予防策となるのです。
2. 「言った・言わない」の迷宮:ハラスメント申告の真偽を見極める企業の責任
ハラスメント問題において最も難しいのが「言った・言わない」の真偽を見極めることです。会社に寄せられる申告が本当か否か、客観的な証拠が乏しい状況で企業はどう対応すべきでしょうか。この判断ミスが企業にとって大きな法的リスクとなることは避けられません。
まず企業は中立的な立場で調査する義務があります。ハラスメント申告があった場合、直ちに一方的な判断を下すのではなく、両者から丁寧に事情を聴取し、第三者の証言や客観的証拠を集める必要があります。この際、プライバシーに配慮した調査プロセスを確立することが重要です。
近年の判例では、虚偽申告の疑いがあっても、企業が適切な調査を怠った場合、損害賠償責任を負うケースが増えています。東京高裁の判決では、「疑いがあるだけで十分な調査なく処分を行った」企業の責任が認められています。
企業はハラスメント申告に対して「記録の保存」も重視すべきです。メールやチャットログなどのデジタル証拠、社内会議の議事録、当事者同士のやり取りを目撃した第三者の証言など、後日検証可能な形で保存しておくことが防衛策となります。
また、申告内容に信憑性がないと判断した場合でも、その判断プロセスと根拠を明確に文書化することが企業防衛の観点から不可欠です。「言った・言わない」の迷宮から脱出するには、透明性の高い調査と判断の仕組みを社内に構築することが最大の予防策となるでしょう。
最終的に重要なのは、ハラスメント防止のための社内規程を明確化し、定期的な研修を実施することです。「何がハラスメントに当たるのか」についての共通理解を形成することで、虚偽申告のリスクも低減できます。企業にとって、この課題への対応は法的リスク管理の核心部分と言えるでしょう。
3. ハラスメント申告の濫用リスク:企業と個人を守る証拠保全の重要性
職場におけるハラスメント対策が強化される一方で、申告制度が悪用されるケースも発生しています。虚偽のハラスメント申告は、被告発者の名誉や職業生活を著しく損なうだけでなく、企業のリソースを無駄に消費させる深刻な問題です。東京都内の大手企業では、人事異動や昇進を阻止する目的で虚偽のパワハラ申告が行われ、後に真相が判明したものの、被告発者が受けた心理的ダメージと社内での信頼喪失は簡単に回復できないものでした。
このようなリスクから企業と個人の双方を守るためには、証拠保全が極めて重要です。日常的なコミュニケーションの記録として、以下の対策が効果的です。
まず、重要な業務指示や注意はメールやチャットツールなど記録が残る形で行い、口頭での指示が必要な場合は後で内容を文書化することを習慣づけましょう。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの調査によれば、コミュニケーションの明確な記録がある企業ではハラスメント関連の問題解決がスムーズになる傾向があります。
次に、1対1の面談やフィードバック時には第三者の同席や議事録作成を検討し、内容の透明性を確保することが大切です。特に人事評価や業務改善に関する厳しい指導を行う場合は、この点に注意が必要です。
また、企業側も申告者・被申告者双方の権利を守るため、中立的な調査プロセスを確立し、虚偽申告に対する毅然とした対応方針を明確にすべきです。デロイトトーマツのコンプライアンス実態調査では、明確な調査プロトコルを持つ企業ほど不正申告のリスクが低いことが指摘されています。
法的観点からは、虚偽のハラスメント申告は名誉毀損や業務妨害として民事上の損害賠償責任が生じる可能性があります。最高裁判所の判例でも、故意に虚偽の申告を行った場合の法的責任が認められているケースがあります。
証拠保全は決して「疑いの目」で職場を見ることではなく、公正で健全な職場環境を維持するための重要なリスク管理です。透明性の高いコミュニケーションは、結果的に信頼関係の構築にも寄与します。適切な証拠保全と公正な調査プロセスが、真のハラスメント被害者の保護にもつながることを忘れてはなりません。
4. 虚偽ハラスメント申告が招く双方向の被害:職場環境改善のための法的アプローチ
虚偽のハラスメント申告は、職場において想像以上の深刻な影響をもたらします。この問題は単に個人間のトラブルにとどまらず、組織全体の信頼関係を損ない、本当のハラスメント被害者の声を軽視させる危険性をはらんでいます。
虚偽申告により不当に「加害者」とされた側は、社会的評価の低下、キャリアへの打撃、精神的苦痛など多岐にわたる被害を受けることになります。東京地裁の判例では、虚偽のセクハラ申告に基づく処分を受けた管理職が、名誉回復と精神的苦痛に対する損害賠償を認められたケースもあります。
一方で、組織側も虚偽申告への対応に多大なリソースを費やすことになり、結果として真のハラスメント事案への対応力が低下する懸念があります。さらに職場全体にも緊張感や不信感が蔓延し、コミュニケーションの萎縮を招きかねません。
法的には、虚偽申告は名誉毀損(民法709条)や信用毀損(民法710条)に該当する可能性があり、損害賠償責任が生じ得ます。特に意図的な虚偽申告は、刑法上の名誉毀損罪(刑法230条)や虚偽告訴罪(刑法172条)に問われるケースもあります。
企業としての適切な対応策としては、まず公正かつ中立的な調査プロセスの確立が不可欠です。第三者委員会の設置や外部専門家の活用により、調査の客観性を担保することが重要です。西村あさひ法律事務所の調査によれば、適切な調査プロセスを持つ企業では、ハラスメント問題の早期解決率が40%以上高いという結果も出ています。
また、証拠に基づく事実認定の徹底も欠かせません。「疑わしきは罰せず」の原則を尊重しつつ、双方から十分な証拠と証言を収集し、総合的に判断することが求められます。
予防策としては、明確なハラスメント防止ポリシーの策定と、全従業員への定期的な研修が効果的です。特に管理職向けの研修では、初期対応の重要性と公平な判断の必要性を強調すべきでしょう。
最終的には、ハラスメントの真偽にかかわらず、職場環境の改善という本来の目的を見失わないことが重要です。法的責任の追及だけでなく、対話を通じた相互理解と信頼回復のプロセスを大切にする組織文化の醸成が、長期的な解決策となります。
5. 名誉毀損か正当な訴え出か:ハラスメント申告の境界線と法的判断基準
ハラスメント申告に対する法的判断は極めて複雑です。「名誉毀損」と「正当な被害申告」の境界線をどこに引くのか、司法の場では常に難しい判断が迫られています。特に問題となるのは、ハラスメント申告が名誉毀損罪(刑法230条)や信用毀損罪(刑法233条)に該当する可能性です。
最高裁判所の判例では、ハラスメント申告において「公共の利害に関する事実」「公益目的」「真実性・相当性」の3要件が満たされれば、名誉毀損の違法性が阻却されると判断されています。つまり、会社内での適正な手続きに従って行われた申告は、原則として違法性が否定されるのです。
具体的事例として注目すべきは、東京地裁令和元年判決です。この事例では、セクハラを申告した従業員に対して、申告された側が名誉毀損で訴えましたが、裁判所は「会社の窓口への報告は正当な権利行使の範囲内」と判断し、名誉毀損を否定しました。
一方で、虚偽の申告と認定された場合は民事上の不法行為となり、損害賠償責任が生じます。興味深いのは、弁護士法人レクシアの報告による「虚偽申告による損害賠償認容例」では、平均して300万円前後の賠償額が認められている点です。
申告の正当性を判断する上で裁判所が重視するのは以下の要素です:
1. 申告の具体性・一貫性
2. 裏付け証拠の有無
3. 申告者の動機
4. 申告の時期や状況の合理性
ハラスメント申告者を保護する「内部告発者保護法」的な側面と、不当な名誉棄損から個人を守る法的保護のバランスは、今後も司法判断の重要な焦点となるでしょう。企業の人事・法務担当者は、このような法的判断基準を十分に理解した上で、申告制度を設計・運用していくことが求められます。